太平洋戦争によって沖縄は焼土と化したが、特に医療の分野では、人的にも物的にも壊滅的な打撃を被りました。終戦直後の米軍による直接的な医療管理が行われていた時期(1945-1950年)を経て1952年に琉球政府が誕生しました。その後首里、那覇を中心とする住民から行政主席宛に政府立病院の設置要望書が提出され、1953年(昭和28)米国民政府(USCAR: United States Civil Administration of the Ryukyu Islands)は、琉球政府に対し那覇病院を建設するよう指示した。
| 1954年 | ー | 政府は病院用地として、那覇市字与儀196番地の国有地(農業試験場用地)を決定、公務交通局において建設計画に着手 |
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| 1959年 | 6月 | 初代院長に田端辰夫氏 総工事費817,441.67ドルその355,166.67ドルはUSCARの補助であった。 |
| 8月 | 琉球政府立那覇病院(病床数:226床 診療部:97名 医師:7名, 看護師53名, 薬剤師 2名, 検査技師 6名, 事務部門 30名)として開院。
琉球政府立那覇病院 |
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| 1961年 | 5月 | 那覇血液銀行竣工 |
| 1963年 | 8月 | みどり丸遭難、職員が医療班として救助にあたる |
| 1972年 | 5月 | 本土復帰に伴い沖縄県立那覇病院に名称変更 多数の職員が、国立琉球大学保健学部付属病院に移籍された 母子保健法による療育医療機関に指定 |
| 1974年 | 9月 | 那覇病院40床で開院
沖縄県立那覇病院 改築後 |
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| 1975年 | 6月 | 80床に増床 |
| 8月 | 那覇病院広域救急医療センター竣工 | |
| 10月 | 病床数120床(内科•小児科) | |
| 12月 | 外科診療を開始 | |
| 1976年 | 4月 | 160床に増床 婦人科診療を開始 |
| 1979年 | 4月 | 病棟改修工事完了 (内科100床、小児科40床、産婦人科28床、外科、整形外科、泌尿器科90床、救急10床) |
| 5月 | 産科開設 | |
| 1981年 | 1月 | 連続血管撮影装置設置 |
| 1982年 | 3月 | CT導入 |
| 1983年 | 3月 | 自動化学分析装置設置 |
| 1984年 | 3月 | X線テレビ装置設置 |
| 4月 | 眼科開設 | |
| 5月 | 総合病院の名称使用の承認 | |
| 1986年 | 1月 | 理学診療科開設 |
| 4月 | 脳神経外科開設 | |
| 5月 | 第3代目院長 山内昌和発令 | |
| 3月 | 座間味診療所竣工 | |
| 1987年 | 5月 | 那覇市与儀(琉球大学医学部附属病院跡)に改築移転。434床(稼働331床)で診療開始
沖縄県立那覇病院 琉球大学医学部附属病院跡に改築移転 |
| 1月 | 渡名喜診療所竣工 | |
| 1988年 | 4月 | 11階・12階の病棟使用で434床の稼働となる |
| 6月 | 人工透析開設 | |
| 12月 | 南大東診療所竣工 | |
| 1989年 | 1月 | 北大東診療所竣工 |
| 12月 | 粟国診療所竣工 | |
| 1990年 | 4月 | 第4代目院長 金城幸善発令 精神科・皮膚科開設 |
| 1991年 | 10月 | 心臓血管外科・小児科・気管食道科開設 |
| 1992年 | 2月 | 不妊治療開始 |
| 3月 | 渡嘉敷診療所・阿嘉診療所竣工 | |
| 6月 | 基準看護特2類を特3類へ変更(10階・12階病棟) | |
| 7月 | 基準給食の特別管理給食加算(適温給食)の承認 | |
| 10月 | MRI設置 | |
| 1994年 | 10月 | 新看護(2:1看護) 食事療養届(1) |
| 1995年 | 3月 | 久高診療所竣工 |
| 7月 | 創立35周年、再開20周年記念式典・祝賀挙行 |
| 1996年 | 4月 | 第5代目院長 宮里不二彦発令 夜間勤務等看護換算 (1)a 1F. ICU. 9F (1)b 4F~8F. 10F~12F |
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| 6月 | こども病院設立に向けた第1回街頭署名活動 43,747名の署名が集まる | |
| 12月 | 院外処方箋発行開始 | |
| 1997年 | 2月 | 小泉厚生大臣と沖縄開発庁長官へ母子総合病院設立を要請 |
| 4月 | 「母子総合医療センター設立推進協議会」を結成 | |
| 1999年 | 3月 | 日本医療機能評価機構から認定証交付 |
| 4月 | 第6代目院長 長嶺功一発令 | |
| 7月 | 感染症病床(4床)改修工事 | |
| 2000年 | 6月 | 第2回街頭署名活動 190,916名の署名が集まる |
| 2001年 | 2月 | 「高度多機能病院の整備基本計画」母子総合医療センターは新病院と併設案 |
| 2003年 | 4月 | 地域周産期母子医療センター認定 厚生労働省から臨床研修病院に指定 地域医療連携室開設 医療安全管理部開設 |
| 2004年 | 4月 | 第7代目院長 安次嶺馨発令 |
| 5月 | 第1回臨床研修を開始、研修医師5名 | |
| 2005年 | 4月 | 「こども病院支援わらびの会」設立総会 |
| 2006年 | 3月 | 県立南部医療センター・こども医療センター開院式 県立那覇病院廃止 |
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| 4月 | 県立南部医療センター・こども医療センター開院、診療開始 総合周産期母子センター認定 診療科目(成人部門28科、こども医療センター17科) 病床数434床(こども医療センター120床、救命救急センター30床、精神科合併症5床) 電子カルテ運用開始 災害拠点病院指定
沖縄県立南部医療センター・こども医療センター |
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| 6月 | 小児外来ボランティア活動開始 | |
| 10月 | 救命救急センター指定 放射線治療開始 | |
| 2007年 | 4月 | 第8代目院長 下地武義発令 |
| 7月 | DPC対象病院追加 | |
| 2008年 | 3月 | 病院機能評価審査体制区分3(Ver.5.0)認定 |
| 4月 | 第9代目院長 大久保和明発令 | |
| 2009年 | 5月 | 7対1看護体制 |
| 9月 | 治験管理センター開設 | |
| 2011年 | 4月 | 第10代目院長 我那覇仁発令 |
| 6月 | 第13回公共建築賞 優秀賞受賞 | |
| 2012年 | 10月 | 地域医療支援病院承認 |
| 2013年 | 3月 | 院内保育所「みなみのこ保育園」開園 |
| 4月 | DPCⅡ群病院指定 | |
| 10月 | 病院機能評価審査体制区分3(3rdG:Ver.1.0)認定 | |
| 2014年 | 4月 | DPCⅢ群病院指定 |
| 7月 | NICU増床(12床→18床) | |
| 2015年 | 3月 | 小児救命救急センター指定 |
| 4月 | 第11代目院長 佐久本薫発令 | |
| 7月 | PICU増床(6床→8床) | |
| 10月 | 高精度放射線治療システム導入 | |
| 2017年 | 4月 | 入退院支援室開設 |
| 2018年 | 4月 | 第12代目院長 小濱守安発令 |
| 9月 | 一次脳卒中センター開設 | |
| 10月 | Mobile CVS(心臓血管外科ドクターカー)導入 | |
| 2019年 | 2月 | 第2GCU増設(12床) |
| 4月 | 第13代目院長 和氣亨発令 | |
| 5月 | 病院機能評価 機能種別版評価項目 3rdG(Ver.2.0)認定 | |
| 8月 | 新型コロナウイルス感染症重点医療機関指定 | |
| 2022年 | 9月 | 院内スマートフォン稼働 |
| 10月 | 許可病床数 444床 | |
| 2023年 | 4月 | 第14代目院長 福里吉充発令 看護師特定行為指定研修期間指定 |
| 2024年 | 4月 | ハイブリッド手術室稼働 |
| 8月 | ECMOセンター開設 | |
| 2025年 | 4月 | 第15代目院長 重盛康司発令 |
| 琉球政府立那覇病院 | |
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| 初代院長 | 田端 辰夫 |
| 沖縄県立那覇病院 | |
| 二代目院長 | 外間 政典 |
| 第三代目院長 | 金城 幸善 |
| 第五代目院長 | 宮里 不二彦 |
| 第六代目院長 | 長嶺 功一 |
| 沖縄県立南部医療センター・こども医療センター | |
| 第七代目院長 | 安次 嶺馨 |
| 第八代目院長 | 下地 武義 |
| 第九代目院長 | 大久保 和明 |
| 第十代目院長 | 我那覇 仁 |
| 第十一代目院長 | 佐久本 薫 |
| 第十二代目院長 | 小濱 守安 |
| 第十三代目院長 | 和氣 亨 |
| 第十四代目院長 | 福里 吉充 |
| 第十五代目院長 | 重盛 康司 |